静かな構内を歩く。
今は五限目の真っ最中だから、廊下を歩く学生もまばらだ。
「真野君は講義なかった? サボったりしてないよね?」
水曜日の五限目は深津もちょうど講義が入っていなかったから、早めの時間を指定した。
理玖の都合で講義を欠席させていたとしたら、由々しき事態だ。
「文学部は基本、水曜は四限までしかないんだ。三年以上になって選択教科が増えると、水曜日の午後はスカスカになる学生多いみてぇだよ」
そういえば、文学部四年生の鈴木も同じような話をしていた。
「そうなんだね。医学部の学生は基本、講義がぎゅうぎゅうで入ってる印象だ。水曜日の五限が唯一、空いている程度かな」
学ぶ教科が多いから、選択教科が増えてもぎゅうぎゅうだ。
慶愛大学は総ての学部が広大なキャンパスの中に納まっているから、色んな学生がいる。
「祐里が勉強で忙しそうで、良かったって思った。会う機会が減っても自然だから」
後ろ向きな発言に、理玖は真野を振り返った。
「これからはまた、会う機会が増えるよ。真野君には僕のnormalになってもらう予定だからね」
「……え? どういう意味?」
真野が不安そうな顔をしている。
「詳しい説明は後でするよ。ただ、僕は真野君が欲しいと思っているってだけ」
そんな話をしているうちに、理玖の研究室に着いてしまった。
「まだ来てないと思うから、部屋で心の準備とかしているといい……」
ドアのカギを開けて、中を覗く。
「本当に男性ですか? 美しすぎて女性にしか見えません。完璧すぎます
掃除道具を避けながら、一人ずつ中に入る。 穴は岩壁をくりぬいたというより、土を掘って開けたようだった。「変わった地層ですね。手前は岩壁で、奥は土の壁。粘土層に砂岩が混じっているから、地盤としては強そうですね。あの時は全く目に入らなかった」 冴鳥が岩壁と土壁の境を見比べて感心している。「土壁の方を掘れば、頑強な防空壕になりそうです。この入口も防空壕を作った時の名残なんでしょうね」 かくれんぼサークルの学生たちが掘ったとも考えにくい。 偶然、入り口を見付けて利用したと考える方が自然だ。 入口は人一人なら余裕で入れるくらいに広く掘られている。 入ってみると、防空壕の中は思っていたよりずっと広い空間だった。「防空壕として使うなら五十人くらいは避難できそうだね」 理玖は部屋の中をぐるりと眺めた。 駐車場側から天上の途中までを硬い岩が壁になって覆っている。建物側に向かって、途中から土がむき出しになっている。土の壁には倉庫と同じベニヤ板が貼られていた。 天井付近に数個の穴が見える。きっと空気穴だろう。「右奥の、一段高くなっている場所に布団が敷き詰められていて、そこで学生が何人も……俺が来た時は三組か四組ぐらいの子たちが、そういう行為をしていました」 つまり、六~八人くらいのonlyとotherの学生が既に性交していた、ということだ。 冴鳥が指さした先は、岩の自然な段差なのか、一段高くなっている。それがかえってステージのように見えた。 空間がひょうたん型にくびれて奥側の一部が広くなっている。(奥まった場所にいたら、狭い部屋に感じるかもな。真野君が狭い部屋に感じたのは奥の場所にいて、薬で自失していたからか)
呪いの研究室の確認がしたいと理事長に申請したら、秒で許可が下りた。 次の日の午前中、理玖たちは早速確認に向かった。 業平事務長が立ち会い、國好の警護の元、実際に集会に参加した冴鳥も付き合ってくれた。「この周辺は戦時中に作った防空壕が多くあると言われています。104号室の下だけでなく、確認できるだけでも大学の構内には幾つかの壕が残っています。入り口が開かない壕や、壊れたりわからなくなっている壕も多く、放置されているのが現状です」 業平が104研究室、通称『呪いの研究室』の鍵を開けながら教えてくれた。 慶愛大学は埼玉県戸田市に広大な敷地を有する。 広い敷地に総ての学部が入っている、日本でも数少ない大学だ。 警視庁の國好たちが今回の事件に関わっている理由は、WO犯罪対策班は東京都・神奈川県・埼玉県と茨城県の一部地域を管轄にしているから、らしい。 都や県の境ではなく、首都圏周辺が管轄になるのだそうだ。 WOという区切りで部署を組めるほど各県にWO関連の犯罪は多くない。その割に専門性が求められるから、警視庁のWO犯罪対策班が動く結果になるのだそうだ。「東京からの距離的にも疎開地になっていそうな場所だから、構内に防空壕が残っていても不思議ではないね」 戦争の遺物とでもいうのか、開かなくなった武器庫や見付けられない地雷が手を付けられずに放置される例は日本に限らず多い。 防空壕なら中身は空だろうから、放置したところで危険はないのだろうが。「時々、弾薬庫みたいに使われてましたっていう防空壕とかあるって聞くし、怖いですね」 晴翔がぞっとしない声で、ぶるりと震えた。「集会の時は、そういった危険物は目に入りませんでしたが。隠されていたら、わかりませんね」
「それで、向井先生。GWの集会とは関係がない話になるのですが」 冴鳥が大変暗い顔で俯いている。 どんより、とはこういう時に使う表現だなと思う顔だ。「何か辛いことがありましたか?」 思わず冴鳥自身を案じてしまった。 冴鳥がフルフルと首を振る。深津が懸命に肩を摩ってやっている。「音也君の説得に、失敗してしまいました。でも、一度では諦めません。何度でも説得するつもりでいます。ただ、それ以来、避けられてしまって、メッセージも既読スルーです。最近は既読すら付きません」 冴鳥のやらかした感が半端ない。 理玖も、どう声を掛けたらいいか、わからない。「いや、その、秋風君はなかなか難しそうな感じの子っぽいですし、またみんなで対策を練りましょ、ね?」 晴翔が懸命に慰めている。「秋風先輩って冴鳥先生の知り合いなんですか? 物理学部だから?」「音也君とは従兄弟です。それなりに仲良しのつもりでした」 真野の質問にも、冴鳥はどんよりしながら答える。「とりあえず、どんな話をしたんですか? 参考までに教えてください」 冴鳥が顔を上げて、暗い顔で理玖に向いた。「悩みがあるなら相談に乗ると、切り出したんですが、はぐらかされてしまい。危険なことに巻き込まれているんじゃないかと尋ねたら、逆に怪しまれてしまい、助けたいと言ったら断られました」「あー……、なるほど、そんな感じですか」 冴鳥的には大事な部分を端折って伝えたいメッセージを込めたのだろう。 それがかえって秋風に魂胆を見抜かれる会話になってしまったのだろうと思う。 
冴鳥も合流したということで、國好と栗花落に同席してもらって話を勧めることにした。 捜査協力という形で開示してもらっている情報を、真野たちにどこまで話していいか、理玖と晴翔だけでは、わからない。「つまり、DollがなくなってRISEになった組織を摘発しつつ、全員掬い上げる作戦?」 國好と理玖の説明を真野が簡潔に要約した。「簡単にいうと、そんな感じ。犯罪に手を染めている人には逮捕されてもらうけど」 相変わらず真野は理解が早いなと思いつつ、理玖は頷いた。 犯罪という点で言えば、奥井は真っ黒、臥龍岡がグレーといったところか。「学生は罪に問われないと思いますが、白石と積木は場合によっては逮捕、家裁送致になる可能性があります」 國好の言葉に、真野と深津の顔が曇る。 白石は興奮剤を晴翔に注射して重体に追いやっている。積木も理玖に薬剤を盛ろうとした痕跡があった。今のままでは確実に加害者だ。「凌だって、被害者だよ。拓海さんに連れ出してもらえなかったら、僕が凌の立場になっていたかもしれない」 沈んだ声で話す深津の手を冴鳥が握る。 そっと視線を逸らす真野の頭をさりげなく撫でてやる晴翔はお兄ちゃんだなと思う。「理研を糾弾し主犯を逮捕するに足る証拠と圧力は準備できそうだ。けど、それじゃぁ臥龍岡先生のシナリオは変えられない。白石君と積木君が被害者と加害者、本当はどっち側なのかを明らかにすれば、自ずと臥龍岡先生のシナリオは崩れる」 まだメスを入れられていない場所、RoseHouseの真実を明らかにしなければ、一連の事件は本当の意味で解決とは言えない。(僕のやり方はきっと、RoseHouse出身の臥龍岡先生や秋風君には出来ない解決法だ)
後ろの方で鼻を啜る音が聞こえて、理玖は振り返った。 更待と唐木田が感動して泣いている。「いいなぁ、青春って感じだなぁ」「仲直りできて良かったです。本音をぶつけ合うって素敵ですね」 唐木田は熱い性格そうだからいいとして、クール系イケメンの顔面をした更待も感動して同じように泣いている。(ぱっと見はインテリクール系イケメンだけど、中身はやっぱり乙女系だった) 理玖の乙女脳がようやく更待をインテリ眼鏡乙女系イケメンでインプットした。 更待を眺めてそんなことを考えていると、研究室の扉が開いた。「遅くなりました。話し合いは終わってしまいましたか」 白衣姿の冴鳥が荷物を持ったまま部屋に駆け込んできた。 部屋の外に張っていた國好が入れてくれたらしい。 薄く開いた扉から國好が部屋の中に視線を送る。 明らかに唐木田と更待に向いた視線だ。どう控えめに見ても怒っている目だ。「早く行った方がいいっすよ」 栗花落に促されて唐木田と更待が弾かれたように立ち上がった。「あの二人、今日は建物周囲の警備担当なんで。サボりが國好さんにバレたっすねぇ」 栗花落がニシシと笑う。 道理で部屋の中の警官密度が高いと思った。「二人はしっかり仲直りできましたよ」 真野と深津の肩を抱いて、晴翔が冴鳥に笑顔を向ける。 冴鳥が荷物を落として脱力した。「そうですか、良かった……」 どう見ても講義終わりに直に理玖の研究室に来た姿だ。 紙袋の中には紙の束が入っているから小テ
静かな構内を歩く。 今は五限目の真っ最中だから、廊下を歩く学生もまばらだ。「真野君は講義なかった? サボったりしてないよね?」 水曜日の五限目は深津もちょうど講義が入っていなかったから、早めの時間を指定した。 理玖の都合で講義を欠席させていたとしたら、由々しき事態だ。「文学部は基本、水曜は四限までしかないんだ。三年以上になって選択教科が増えると、水曜日の午後はスカスカになる学生多いみてぇだよ」 そういえば、文学部四年生の鈴木も同じような話をしていた。「そうなんだね。医学部の学生は基本、講義がぎゅうぎゅうで入ってる印象だ。水曜日の五限が唯一、空いている程度かな」 学ぶ教科が多いから、選択教科が増えてもぎゅうぎゅうだ。 慶愛大学は総ての学部が広大なキャンパスの中に納まっているから、色んな学生がいる。「祐里が勉強で忙しそうで、良かったって思った。会う機会が減っても自然だから」 後ろ向きな発言に、理玖は真野を振り返った。「これからはまた、会う機会が増えるよ。真野君には僕のnormalになってもらう予定だからね」「……え? どういう意味?」 真野が不安そうな顔をしている。「詳しい説明は後でするよ。ただ、僕は真野君が欲しいと思っているってだけ」 そんな話をしているうちに、理玖の研究室に着いてしまった。「まだ来てないと思うから、部屋で心の準備とかしているといい……」 ドアのカギを開けて、中を覗く。「本当に男性ですか? 美しすぎて女性にしか見えません。完璧すぎます